私は、京安が好きだ。

私は、京本くんが好きだった。

というと、少し語弊があるかもしれないから、言い直そう。

 

私の元担は、京本くんだ。

 

 

 

7 月 30 日、覇 vs 者の公演で盛り上がっている中で、私のフォロワーさんに萩安担が多い中で、なぜこのような話をしようと思ったのか。それは、7月30日の公演中、私がEXシアターで体験した摩訶不思議な出来事を、書き残さずにはいられなかったからである。

この日は私にとって初めてのサマーステーションだった。チーム覇のライブ部分のパフォーマンス力の高さには圧倒した。選曲、構成、全てにおいて言うことなしの素晴らしい出来具合に“ファンの心を知り尽くしている”安井くんを初めとしたチーム覇のセンスが発揮されていると、そう強く感じた。

 

私が体験したのは、そんなチーム覇のライブパフォーマンス中のこと。

噂には聞いていた、安井くんと顕嵐くんの hair の注目度の高さは、イントロですでに痛感することになった。2人がステージに現れた時。私も安井くんと顕嵐くんへと歓声を向けるはずだった。

 

けれど。

 

 

そこには、京本大我がいた。安井くんの隣に、確かに京本大我がいたのだ。

 

目に少しかかる金髪の隙間からただ一点を見つめる鋭い目つき。会場にいる人全てをハッとさせるセクシーさを内に秘めるその輝きはまるで孤高のもので。どこからどう見ても、私の目に映るのは京本大我だった。

 

いるはずのない人がいるだなんて、そんなことありえるわけがない!!ペンライトを振る手を止め、もう一度ステージに目を向けた。

やはり、京本くんが、そこにいた。

 

ただの錯覚だと、言い切ることもできる。けれども、そんな、錯覚だんて言葉で片付けるような素直さは、生憎私は持ち合わせていない。

おそらく、今回のこの体験は錯覚ではない。それは、私の、抱えきれない願望の爆発ゆえの奇跡であったのだと思う。

 

 

私は、京安が好きだ。

 

 

昔話をしよう。

私は、何事にも本気な京本くんが好きだった。ちょっと不器用で、素敵な笑顔をもつ京本くんが、好きだった。そんな彼に少しずつ変化が現れるようになったのは、「バカレア組」と呼ばれる6人での活動が活発になった時期だった。

彼は、笑わなくなった。6人で歌う曲で、彼はいつも無表情だった。時に、自分から距離をとったりもした。笑っても、目の奥に輝きがなかった。悲しかった。ただただ悔しかった。そんな姿、見たくなかった。“つまらない”という気持ちなんて前面に出してほしくなかった。彼は、自分で、彼自身の魅力を閉ざしていた。そこにいるのは京本大我なのに、京本大我じゃなかった。

そんな彼を見て、多くの京本担は、彼に怒り、呆れ、そして、同情もした。期間限定だからもうすぐ終わる、そんな声も多くあった。“京本ライン”を、“京安”をもう一度、そう心待ちにする人も少なくはなかった。

 

 

京本くんの隣に、誰がいてほしいか。

私は、安井くんだ、と、即答していた。

 

Jr.のファンをしていて難しいのが“誰の隣にいる自担が好きか”について考えることだと私は思っている。

京本くんが好きなのに、私は萩谷くんへと降りた。限界だった。京本くんの変化を受け止めきれなかった自分に苛立ったりもした。

 

萩谷くんへと担降りした理由は、また後ほど書こう思う。決して“逃げた”のではなく、心の底から好きだと思えたための担降りだったということだけは確かだと、ここで述べておこう。

 

 

 

京本くんは、バカレア組が好きですか?

バカレア組でいる自分自身が好きですか?

 

当時の私は京本くんに何度も問いたかった。答えを知ることはもちろん出来なかったけれど。その後、かなり経ってから、あるメンバーの告白が私の思いを変えることになる。

 

「最後の舞台挨拶を終えた帰りの新幹線。これで終わりだと思うと寂しくてみんなで泣きながらお弁当を食べた。」

 

そして、京本くんは語った。

「協調性が身についた。自分だけが良ければいいという考えを改めようと思えた。」

 

この言葉を見たとき、私の中で何かが弾けた気がした。嬉しかった。バカレア組の経験は、京本くんという人間を変えた。その変化は全てが良いものであったとは言い難いけれど、結果的に京本くん自身を良い方へと導いた。

また大好きな京本くんの、大好きな笑顔が見られると思うと、胸が苦しくなるほどの喜びが溢れた。 京本担でよかったと自信を持って言えるようになった。

 

萩谷担なのに、安井くんの隣には京本くんがいてほしいと願う、まぎれもない矛盾を心に抱え、私は萩谷担としての人生を歩み始めた。

 

 

今もなお私は思う。京安は運命のシンメだと。

 

運命とは、

『人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。』

 

ステージの真ん中に二人で立つ京安から溢れる美しさと儚さは、別々の道を準備された不幸のめぐりあわせなのかもしれない。

 

 

京安が運命ならば、萩安は、必然だ。

出会うべくして出会った二人だ。以前私は、萩谷くんと安井くんのことを“バカレアに選ばれなかった2人”だと表現したことがある。批判を覚悟したが、同じように考えていたとの声を多くいただいた。

悔しさも、楽しさも、辛さも、全ての思いを共に経験してきたと言っても過言ではない二人の武器は、共に過ごした時間の長さだ。

 

それでもなお。萩安がどれだけ時間をかけて素晴らしい関係性を築き上げても、京安を超えることはないだろうと心のどこかで思っていた。

 

それは、萩谷担の私が京安へと抱く思いが、“憧れ”だったから。

 

元京本担として見る京安は、やはり唯一無二の存在であった。歌わなくとも、踊らなくとも、二人が並ぶだけで輝きを放つ。二人が並ぶだけで一気に二人の世界観が広がる。二人だけにしか創りだせないその空気感は、もっと、尊重されるべきだ。

 

そして、萩谷くんと安井くんが、いつか京安のようなそんな存在になれたらいいなあというのが、いつしか私の一番の願いとなった。

 

 

 

 

今年のガムシャラで、安井くん、京本くん、萩谷くんの3人がRocking Party、Kichin’itを歌った。3人を見たとき、探し続けていたパズルのピースがピタッとハマったときのような、昔埋めた宝箱からキラキラとしたビー玉が出てきたような、そんな感覚がした。

 

願いが叶った気がした。

安井くんと京本くんと萩谷くん。3人それぞれを。

安井くんと京本くん、安井くんと萩谷くん、萩谷くんと京本くん。それぞれのコンビを。

 

全てを、この空間を、大切に綺麗に優しく包んで抱きしめたい。

そんなことを思う自分がいた。

 

 

京本くんが所属するグループを批判するつもりも、否定するつもりも全くない。京本くんにとってバカレア組が、six TONESが最高の居場所だと言うならば、その思いを尊重して応援したい。けれど、またいつか、京本くんと安井くんが背中合わせで歌う日が来ればいいなというのが私の願いだ。

 

7月30日。私が体験した不思議な出来事は錯覚なのだろうか。安井くんと一緒に歌う京本くんが見たいという私の中の強い願望がそうさせたのだとしたら、私は今後も、京安が好きだと言い続けたい。あわよくば、そこに萩谷くんがいてくれたら、、と少しの期待も込めたいと思う。

 

 

私は、京安が好きだ。

私は、萩安が好きだ。

 

キラキラと輝く、3人が好きだ。