愛情重めな萩谷担が、萩谷担になるまでの話
「いつから萩谷担なの?」
「んー、高2の冬かなあ」
「結構長いんだね」
「……そうかなあ」
この夏、何度もしたこの会話。その度に、“長い”という言葉が私の中で引っかかった。
長い?いや、長くない。私は今でも自分は“新規”だという意識があるからだ。
少し前、はぎちゃんの好きなところを10個あげるというのが私のTLで流行っていた。それに乗っかろうとしたのだけれど、なかなか思いつかないもので。
どうせなら、私が萩谷担になった経緯を語りながら見つけていこう(^^)/
そんな軽いノリで書いた文章です。長いので読むのがめんどくさい方は次に更新する「はぎちゃんの好きなところ10個」までお待ちください。(更新日未定)
◎~高校生
私がジャニヲタになったのは、小学生の頃。その後、デビュー組担を経て、まあなんやかんやあって京本大我に転げ落ちる。
そんな私は高校を卒業するまで、完全なるお茶の間だった。自費でかつ日帰りという条件で大阪までなら行ってよしという許可をもらったのが中学2年のとき。東京への遠征は高校卒業までずっと禁止。
家族全員ジャニーズアンチの家庭というのは、それはそれは肩身が狭いもので。
居間で雑誌を読むことなんてありえなかったし、家族がいる中でジャニーズが出ている番組を見るなんて、ただの自殺行為。総叩きされて自分が傷ついて終わるだけ。そんな家庭だった。
◎高校2年生の夏
「もうすぐ受験生なんだし、今年の12月いっぱいでジャニヲタ辞めなさい。」
親からの言葉。どう頑張っても距離的にも金銭的にも、親に隠れて遠征は無理だ。簡単に諦めはついた。
茶の間になろう。そう決めて、頭の片隅にはヲタ卒の文字も浮かんでいた。
◎萩谷との出会い
萩谷担になるのは自然な流れだったと今になって思う。
私のはぎちゃんイメージはずっと、Hip Hop JUMPの真ん中で踊る子だった。その頃から笑顔が可愛い子だなあと思いながら見ていた。彼が中3の時少クラで披露したBonnie Butterfly(はっしー中心のやつ)を見たとき、彼の新たな一面を知った。綺麗でクールな顔でセクシーな表情もできる大人っぽい子というイメージがさらに加わった。
バカレアのドラマが発表されたとき、「萩谷くんはいないの…?」そう思ったほど、私の中ではバカレア付近のメンバーと共に “推されている子” というイメージもあった。以前にも書いた通り、バカレア当時の元担にはまあなんやかんや思うことがあって。彼とは別で、同時進行でフワッと応援していたのがはぎちゃんだった。
Sexy Zone、A.B.C-Z、Jr.(バカレア)のサマリーに出演したJr.に密着した「ジャニーズJr.の真実」ではぎちゃんはとにかく喋っていた。カメラの前で、満面の笑みで楽しそうに話していた。
“こんなに喋る子だっけ~?可愛いなあ。”
そんなツイートをした記憶がある。
バカレア以外のJr.たち何人かで披露するパフォーマンスで彼は比較的よく中心にいた。若いのにしっかりと踊る姿や、常に全力な姿にいつも好感を持っていた。
彼と同年代Jr.の中では元担の次に“好き”だと無意識のうちに感じていたのかもしれない。
◎2012年秋
大阪の梅田で「劇場版私立バカレア高校」の舞台挨拶があった。あと2か月でヲタ卒!という思いが私の足を梅田まで向けさせた。
そして追うように、「フレッシュジャニーズJr.コンサート」の発表。場所は横浜アリーナ。
ほぼ東京に近いその会場に、親が行かせてくれると思わなかったのだけれど、最後という約束で親をなんとか説得した。
「彼らにお金を払う意味が私には分からないけれど、お金を払って見たいと思うほど魅力的で素敵な未来が待っているとあなたが思うなら応援しなさい。」
この時言われた言葉は、当時の私にはとても深く突き刺さった。
不確かな未来しかないジャニーズJr.を応援することは楽しいけれど、悲しい未来を見る機会の方が絶対に多い。
「これで終わりにしよう」
当時の担当を応援してきた日々に区切りをつけようと、最後の見納めとして横浜に向かった。
◎2012年11月12日
フレジュの前にこの話を。
この日、ザ少年倶楽部の収録にて初披露された、山田涼介くんのミステリーヴァージン。
バックのJr.が深澤、岩本、森田、諸星、安井、そして萩谷。Jr.担はただただ荒れ、謎すぎるそのメンバーに様々な説が飛び交った。
岩本深澤森田…?――――SnowManは…。TravisJapanは…。
同時に、安井、諸星、萩谷の担当は、大抜擢ともいえるその事態に興奮していた。
そして続く「ベストアーティスト」のバックにはSnowMan、TravisJapan兄組(仲田は休業中)、安井諸星萩谷。
高いパフォーマンスに目が離せなかった。このメンバーの中にはぎちゃんがいることが、なぜか誇りで嬉しくて。久々に素晴らしいものを魅せられてただただ興奮した。
一週間後放送された、ザ少年倶楽部。後に“謎選抜”と呼ばれるようになる6人を従え歌う山田くんと、バックの6人の完成度の高さは“美しい”と思わずこぼしてしまうような魅力で溢れていた。
元担を追っていた日々、バカレアでは見られないステージがそこにはあった。私が求めていたのはこれかもしれない。直感でそう思った。
私の目線の先には、はぎちゃんがいた。
たぶん、もうこの時には当時の担当を越すのは時間の問題だという確信があった。
けれど、きっかけが欲しかった。
そうやってきっかけを探していたときにあったのが、フレジュコンというわけである。
◎フレッシュジャニーズJr.コンサート in横浜アリーナ
メインの出演者として発表されたのはバカレア組の6人。他は、のんさな、セクボ(神宮寺、嶺亜、挙武、倉本)、C3(岸、岩、颯)、安井、萩谷(ここまでが中心扱い)
増田、仲田、高田、半澤、孝良、カウアン、小川、原、寺西、大輝(他退所者10名ほど)(ちなみに、仲田拡輝復活の公演でもあった。)
申し込み用紙と共に届いたのはJr.からのメッセージが書かれた紙。
大きな星型の枠と、小さな丸い型。
大きな星型にメッセージを書いていたのは、バカレアのメンバーと、はぎちゃん。
「12月16日 このチャンスを、無駄にはしません!最高のステージにするので見に来てください!萩谷慧悟」
今でも心に残るこのメッセージ。メインメンバーと並んでいる星型に胸が熱くなって、同時に、16歳にしては熱い言葉を書くなあなんて思いながら見たのを今でも覚えている。
当日、会場にも、直筆のメッセージが掲示されていた。
「フレッシュJrコンサートに来てくれてありがとう!!僕たちはこれからもどんどんパワーUPします!萩谷慧悟」
“パワーUPする”という言葉がなんだかとても純粋に感じて、そのひたむきに上を目指す姿勢に感動した。
ちなみに、星形の紙を内側で星形に縁取っていた。星形 on 星形。人のセンスって変わらない。(褒めてる)
【はぎちゃんの好きなところ:素直なところ】
担当迷子気味だった私は、横アリの最後列でひたすら遠くからでも分かる元担の美しさに惚れ惚れしていた。
昼公演。
もはや記憶も曖昧なので何の曲だったか覚えていないのだけれど私は衝撃の光景を目にすることになる。研修生たちが外周で踊っていて、セクバ、無所が花道で踊っているとき。
私がいた側のサブステから、中央メンステを突っ切る花道を通り、向こう側のサブステへ向かう子がいた。
彼は目立っていた。ひたすら目立っていた。理由は「動きが変」だったからだ。
【はぎちゃんの好きなところ:不器用なところ】
踊って……る?
それとも手振って……る?
歩いて……る?
それとも移動……?
大丈夫かな……?
フラフラして……る?
何してるの???????
みんなの間をふらつきながら彷徨い、けれど確かに移動していた彼。
たぶん、踊っていた。移動もしていた。手も振っていた。向こう側のサブステにあるドラムセットを目指していた。
私は言葉を失った。
あんなにもオペラグラスを目に押し付けたことは過去にも未来にもおそらく一度もない。
必死で彼を追った。
たどり着けるかな…コケないかな…誰かにぶつからないかな…よし、たどり着いた…
「あぁ、よかった……」
思わず口に出した。無意識だった。
そんな自分に気づいたとき驚きが隠せなかった。もしかして、これって……。
「ここだ。」
決定打だった。
その瞬間から、私の世界の中心の人が変わった。
【はぎちゃんの好きなところ:真面目】
けれどもすぐに担降り!なんてそんな簡単な話ではなく。夜公演はもはや菩薩の笑みでみんなを見守った。
「おかえりなさい。」
「新たな一面を見せてくれてありがとう。」
「今までありがとう。大好きだったよ。」
いろんなJr.に思いを寄せて。
「俺たちはーー?」
『ジャニーズジュニアーーーー!!!!!!!』
最後の現場で、一緒に声を出せた幸せを噛みしめて、横アリを後にした
◎フレジュコン後~2013年1月1日
フレジュコンから帰ってきた私はまず、萩谷慧悟を詳しく知ろうと、過去の雑誌やテレビをひたすらチェックすることから始めた。意外にも知っていることが多くて、無意識のうちに彼をちゃんと追ってたんだなあとちょっと嬉しくもあった。
“担降り”はなかなか気軽にするものではない、というジャニヲタ特有の意識が私にもあり、ただひたすら悩んだ。当時ツイッターで仲良くしてくださっていた萩谷担の方に相談したら、アドバイスとともに快く背中を押してくれた。不確かな括りのJr.たちの活動に区切りをつけるために萩谷が導入されたこともあった。該当担からしたらその存在は煙たがられたこともあったかもしれないけれど。それに負けずに、と言ってくれた萩谷担のお姉さん、今も元気にしてるかな…
そして悩んだ末、ヲタ卒日と決めていた12月31日に当時の担当を降りた。
ここでヲタ卒………
なんてそんなことあるわけなかろう!
1月1日、ついに萩谷担になった。
同時に、完全茶の間のジャニヲタ生活を開始した。
◎2013年1月1日~年末
ここからはサクッといきます。
気づけば彼がいる場所は“謎選抜”と呼ばれた。テレビでも雑誌でも謎選抜。AOKIのCMに抜擢されたり、Bad Boys Jにも出演した。
BBJに伴い、少しずつ“萩安”のコンビ感が強まったのもこの時期ではないだろうか。
けれども、前も述べたが私の中で安井くんは“京本くんの隣にいるべき人”というイメージが強くあったため、なんとなく、“萩安”を受け入れることに抵抗があった。
安井くんの隣は京本くん、はぎちゃんはヒプホ付近の子たちと一緒。 そのイメージを無くすことは、当時の私には困難だった。
シンメがバカレアに選ばれてしまったはぎちゃんと安井くん。
“選ばれなかった”二人が一緒になるのは自然の流れではあったけれど。誰に何を言われようとも、まだこの頃の私は“萩安”へ複雑な思いがあった。
私のこの抵抗は、この後長く付き合うことになる。
9月。受験が年内で終わるかもという期待が生まれ、10月に確定。11月には受験、合格発表。
そして、BBJ公開。前売りや特典で気づけば手元には5枚のチケット。大きなスクリーンで5回、萩安のポッキーゲームを目にしたということになる。(そこ)
トリはぎ(トリンドルとはぎちゃん)の二人の萌えを発見したのもいい思い出。
◎冷め期
2013年の年末~2014年の年始にかけて。私だけでなく私の周りの多くの萩谷担にそういう傾向があったように思うこの時期。
◎担降り
もともとプレゾン大好き人間だった私は、記念すべき1年ぶりの現場復帰をプレゾンin日生(1月)で果たした。久々の大好きな仲田拡輝にひたすら興奮し、そのままずるずると仲田デレ期を長引かせる。
気づけば4月。東京の生活をスタートした私。そんな時期、優馬くんが新曲を発表した。バックにはトラジャ兄組。
「あーーーーーやっぱり好きだ!!!!」
そして、担降り。
たぶん、それは一種の“恋”。今もそうだけれど、私は仲田のことが心から好きだ。全て、何もかも、タイプなのだ。
「好き」が必ずしも「一番応援したい」に繋がるわけではなく。「見守り続けたい」という思いありきの「好き」という思いを抱くのが担当だと知った一か月だった。もちろん、全ての人がそうだとは言わない、私は、そうだった。
◎萩谷担復帰
5月になると同時に、萩谷担に舞い戻った。戻ってからはそれはそれはもう「りっちゃん、前よりも萩谷大好き人間になったね!?」と言われるほど。
6月。当日券を手にした私は、フレジュコンぶりにはぎちゃんを見ることに。当日券でなかなかの良席。しかも何度もはぎちゃんのゼロズレという幸運。
約1年半ぶりの彼は、当たり前だけれどとっても成長していた。ずっと会えずに応援し続けてきた1年半が無駄じゃなかったと、そう思わせてくれるステージに、ひたすら泣いた。
確かに、まだまだ実力不足な点はたくさんあった。声量、演技などなど、むしろ、足りない点ばかりだった。けれど。彼があのカンパニーで、一番素晴らしかったと、自信をもって言える点が一つあった。
【はぎちゃんの好きなところ:表情】
あのカンパニーの中で、彼は一際輝いていた。それは、私が萩谷担だからそう思うのかもしれないと思ったけれど、おそらくそれだけではない。
彼の輝きの秘密は“笑顔”。
踊っているときも、演技中にいたずらっぽく微笑むときも。彼はとってもいい表情をする。それは、彼が持つ一番の魅力だ。笑顔と共に、体全体から溢れる“楽しい!”という気持ちは、誰しもが表現できるものではない。
【はぎちゃんの好きなところ:努力家】
笑顔という武器を持っている彼が、声量や演技力を手に入れたとき、どれだけのものが見られるのか。努力家な彼はきっと、自分の足りない部分を伸ばそうと努力するだろう。未来を想像したら鳥肌が立った。
彼ならきっと、そんな未来を見せてくれるはず。ふと、そう思った。
そしてこの日私はTwitterという公共の場である宣言をする。
「今後、彼がJr.でいる限り、もちろんデビューしたらその後も、ずっと萩谷担でい続けます!!!」
今まで一度も、この誓いを覆そうと思ったことはない。
そして同時に、萩安っていいなって、思い始めたのもこの頃。
◎萩谷受験期
寂しかったです。
【はぎちゃんの好きなところ:存在そのもの】
安井くんがEXシアターで放った「(もしチームを組むなら)俺は萩谷とやる!!!」
このとき、本人たちの中でも“萩安”という意識があるのかもしれないという事実を突きつけられた気がした。それは昔の二人のシンメを思うと寂しかったけれど、今の二人の全てがそこにあるならばいずれ受け入れなければいけないのかもしれないと、そう思った日だった。
◎Take Over
私の中の“萩安”への抵抗が消えた一曲。
二人が並んで歌う姿が想像以上にギラギラとしていた。
けれども二人きりでもステージに物足りなさは全くなく。はぎちゃん、安井くん、一人ずつで輝きを放っているのではなく、二人一緒にいることで放つ輝きがここまで魅力的なのだと感じずにはいられない時間だった。
たぶん私は「萩安が好きだ」と口にすることで背負うリスクが怖かったのだと思う。彼らはグループでもなければユニットでもなくて。未来が保障されたシンメというわけでもない。
いつか、どちらか片方だけがデビューという夢を叶えたとしても、同じ場所にもう片方がいるとは限らない。
今、“好き”というと、絶対にその思いが溢れて。もし悲しい現実を突きつけられることがあったとき、その悲しみを自分の中で上手く解消する自信がなかった。
それでも。そんなリスクを背負ってでも。
二人一緒にいる未来が見たい。そう思わせてくれた一曲。
【はぎちゃんの好きなところ:他人との距離感】
◎ジャニーズワールド
受験、オーシャンズ11大阪公演を終えた彼が姿を現したのは、ジャニーズワールドだった。
去年も出てないし、今回も出ないだろうな~と完全に油断していた。それなのに、1月1日になった瞬間更新されたジャニーズネットの動画に、安井くんとはぎちゃんの姿。1日の朝刊には、ジャニワのゲネ写とともに大きく写り込むはぎちゃんと安井くん。
安井くんとはぎちゃんがジャニワに出るぞー!!!と、1月1日の朝から大騒ぎ。どうせちょい役なんだろう~と思っていたら、まさかのセリフがあるほどの扱い。殺陣ではデビュー組とSnowMan、安井くん真田くんとともに頑張っていた。
メインとして名前の出ているJr.よりも存在感のある立ち位置に、ちょっぴり嬉しくもあって。オーシャンズで腕を磨いた3人の輝きっぷりに、彼らがオーシャンズに捧げた半年間の私たちの寂しさも報われた気がした。
後から明かされた、12月半ばに急遽出演が決まったという衝撃の事実。本番直前にして必要だとされたのが彼らだったのかと思うとそれはとても誇らしくもあった。
◎最後に
最初、私は、“新規”という意識があると言った。
自分の受験期と茶の間期という大きな空白の時間があるから。
そして、“萩安”を受け入れるまで時間がかかったという過去があるからだ。
ジャニワを終えたはぎちゃんと安井くんはJ's party vol.8、9、シアタークリエH公演と共に同じステージに立ってきた。
そして、サマーステーション。はぎちゃんは安井くんのいない場所でさらなる成長を遂げた。いつも最年少だった彼は、最年長として、彼の出来る全てをチームに注いでくれた。
8月15日。チーム者の最終公演と決まったこの日、アンコールで安井くんが彼を抱きしめてくれた。
“選ばれなかった”者が集まり、一緒になった二人。
スタート地点がそんな場所であった二人が一緒に上を目指している今を誰が予測しただろう。この先の未来、安井くんの隣に、はぎちゃんの隣に、別の人がいたとしても、同じ空間に二人がいたら嬉しいなあ。それが今の私が一番に望むことかもしれない。
私がはぎちゃんに望む未来はデビュー。これはずっと変わらない。彼はあまり口に出さないけれど、それでも夢見るものはデビューだと信じて疑わない。
けれども、一番大切なのは彼の目指すものを尊重してあげることだという親心みたいなのがあるのも事実。やっぱり、どんな未来がきたとしても彼が笑ってくれればそれでいいかなあ。つくづく“萩谷担は萩谷に甘い”って言われるのってこういうところだと思うが仕方ないですね(笑)
とにかく!はぎちゃんの未来に幸あれ!何度も言うけれど私はずーっと萩谷担です。ずっとずっとはぎちゃんを見守り続けます(^^)/
てわけで私のお話でした!
次回、「はぎちゃんの好きなところ10個」更新予定!(と書くことで自分に圧力をかける)